木原龍一選手の軌跡〜シングルからペア転向、そしてオリンピックへ〜

シングルからペアへ 木原龍一's history

こんにちは!

フィギュアスケートを愛してやまないブロガーのAikaです。

大好きな木原龍一選手が三浦璃来選手を新パートナーに迎え、話題となっています。

 

今ではすっかり日本を引っ張る男性ペアスケーターとして定着していますが、元々はシングルの選手でした。

そんな木原選手のシングルからペア転向に至る軌跡、そしてオリンピック出場し、活躍するペアスケーターに至るまでを振り返っていきます。

 

木原龍一選手の男子シングル時代

トップ選手を多く輩出してきた名古屋でフィギュアスケート人生をスタートさせた木原選手。

当時のコーチは荻野正子さんでした。

木原選手の戦績を簡単にまとめてみると、

 

2010/2011シーズン

  • JGPシリーズ ブライアンシュベルター杯3位
  • 全日本ジュニア選手権 2位
  • 全日本選手権初出場 12位(新人賞獲得)
  • 世界ジュニア選手権 10位

2011/2012シーズン

  • JGPシリーズ バルティック杯3位
  • 全日本ジュニア選手権 3位
  • 全日本選手権 12位
  • チャレンジカップ 7位

2012/2013シーズン

  • 全日本選手権 12位

 

そして、2012/2013シーズンにペア転向を決意し、高橋成美選手とペアを組みました。

 

当時はソチオリンピック団体戦を一年後に控えており、早急にペアを組むために連盟も必死でした。

どれくらい必死だったかというと、

木原は当初ペア転向を希望してはいなかったがトライアウトを受けるように連盟から呼ばれていた。高橋はトライアウトのお手本役として参加しており、木原とホールドをした時に手の感触がマーヴィン・トランと似ていると感じ、連盟も木原を説得に動き出した。高橋と木原はジュニア時代から、 何度も一緒に国際試合に行ってお互いに知っていた

最終的に木原は「五輪を目指して挑戦するというのは、今しかできない事」と判断してペア転向を決断した。2013年1月、連盟から正式な形でペア転向が発表された。

Wikipedia

ペア転向を希望していないシングル選手だった木原選手を説得するくらい必死でした。

とりあえずソチオリンピックだけでいいから出てくれ!という感じで決まったペア転向。

この決断が、彼の運命を大きく変えることになります。

 

高橋成美&木原龍一組でソチオリンピックへ

木原選手はペア転向を決意した当初、不慣れなペアの技の数々に戸惑うばかりでした。

教えていたコーチ達ですら、「本当に大丈夫なのか?」と不安視していたほど。

 

初の全日本選手権で見た彼らの演技は忘れもしません。

低くそっと受け止めるツイスト。

ゆっくり持ち上げ、丁寧に慎重に下ろすリフト。

デススパイラルも固くなりながら恐々やってる。

 

私たち一般人はペアを始めたての人を目にする機会など滅多にありません。

(そもそも中継すらされないことが多い)

 

いかにも覚えたての技をやっている木原選手の姿は新鮮でした。

同時に、応援したいという気持ちが湧いてくる演技でした。

 

そんな彼らを後押しするかのようにチャンスは回ってきます。

 

ネーベルホルン杯でミニマムスコアを獲得し、ひとまずソチオリンピック団体戦には出場できることになりましたが、個人戦の枠獲得はなりませんでした。

ところが、エストニアのペアが国籍問題を獲得できずに枠を返上し、補欠一番手だった彼らに枠が回ってきたのです。

 

結果、高橋&木原ペアはソチオリンピックに個人、団体共に出場。

団体戦では日本の総合5位に貢献し、個人戦はショート18位でフリー進出はなりませんでした。

約1年という短い準備期間で十分健闘したと思います。

 

恐々やっていたツイストも自信を持ったものになり、

リフトも高々と上げられるようになり、

氷に着きそうな低いデススパイラルになり…

成長過程を見守ってきた身としては泣けてくる演技でした。

 

世界選手権代表にも選出され、ショート17位とフリー進出まであと1組に迫る結果でした。

これからの活躍が期待された二人でしたが、2014/2015シーズン終了後、惜しくもペア解消が発表されます。

しかし、当初説得されてペア転向を決めた木原選手は、ペアスケーターとしての現役続行を表明します。

 

須崎海羽&木原龍一組で平昌オリンピックへ

2015/2016年シーズンからは女子シングルだった須崎海羽選手とパートナーを組むことにします。

須崎選手は中京大の7学年下の後輩にあたり、かつての木原選手のようにペア転向を決意しての結成でした。

初出場した全日本選手権では3位。

(この時は全日本出場ペアが3組もいた)

 

須崎選手は木原選手に教わりながらメキメキ実力をつけていきます。

木原選手はすっかりペアスケーターらしくなり、お兄さんになりました。

 

ただし、年齢差からか「おっさん」と言われてしまっていた模様。

インタビューではこんなやりとりがありました。

木原選手:「よく、”おっさん”て言われます(笑)

『じゃあ、いたわって』と言うと、『ヤダ』って言われます(一同爆笑)」

どっちも可愛すぎか!

よく、木原選手は演技終わった瞬間「ごめんごめん」言ってるみたいな動作するし(笑)

かと思えばミスした自分に悔しくて演技終わった瞬間泣き出しちゃう海羽ちゃんを優しく慰めたり…

こんな感じでいつもほのぼのとしたペアでした。

華奢でほわんとした感じの海羽ちゃんは、元気はつらつの成美さんとは対照的な感じ。

 

そんなほのぼのペアがついに全日本選手権で優勝し、平昌オリンピックの代表に。

木原選手は二度目のオリンピックです。

平昌でもまた、後から個人戦の枠が回ってきました。

チャンスの女神は間違いなく彼らに味方していますね。

もちろん補欠一番手につけていたのも彼らの実力です。

 

結果は団体戦総合5位、個人戦ショート21位。

結果だけを見れば、後退したように見えるかもしれません。

ですが、世界選手権銅メダリストペアであった高橋成美選手と組んだ前回と、ペア転向した須崎海羽選手と組んだ今回のオリンピックでは状況が大きく異なります。

 

二度のオリンピックを経験し、またひと回り大人になった木原選手。

そして私が初めて観戦しに行ったのがこの後の2018年GPシリーズNHK杯のショートです。

曲はマラゲーニャ。

 

なかなかノーミスの演技を見ることができなかった彼らでしたが、この日は見事ノーミス!

結果的には8位でしたが、十分に見応えのある演技でした。

信じられないほど自信を持ってリフトしていて、とても低いデススパイラルで…

木原選手はすっかりペアスケーターになっていました。

 

もちろん、須崎選手も元シングルとは思えないほど綺麗なスプリット。

パートナーの木原選手を信頼しているのが伝わってくる動き。

途中、男性がキャメルスピンに近い目立った動きをするという珍しい振り付けが印象的でした。

「生で観たのがこの試合で良かった!」

そう思ったのはいうまでもありません。

むかえた全日本選手権2018は2組だけの出場。

相手はジュニアの三浦&市橋ペア。

 

ショートで堂々大人の演技をして1位につけた須崎&木原ペアですが、なんと三浦選手のケガで三浦&市橋ペアがフリーを棄権。

たった1組でフリーを滑ることになります。

 

競い合う相方がいなくなるというのは想像以上に辛いものがあります。

マラソンで常に先頭を走るのは辛いのと一緒ですね。

 

そんな中でも立派に演技した二人。

終わった後のインタビューでは

木原選手「翔哉たちの分まで背負ってしっかり演技したいと思いました。」

すっかり発言がお兄さんだなーと思ったものです。

後輩を気遣う言葉には、今まで以上に責任感が芽生えていると感じました。

 

その後、木原選手を苦難が襲います。

元々騙し騙し続けてきた肩のケガの治療に専念し、なんとか四大陸選手権出場にこぎつけます。

しかし、練習中の転倒による脳震盪で棄権を余儀なくされてしまいます。

この影響で予定していた世界選手権も棄権。

 

その一ヶ月後の国別対抗戦には三浦&市橋ペアがエントリーされます。

その後、正式に木原選手から須崎選手とのペア解消の発表がなされました…。

 

三浦璃来&木原龍一組で北京オリンピックへ!

苦難の昨年を経て、2019年8月5日、三浦璃来選手を新パートナーに迎えることが発表されました。

全日本選手権で共に戦ってきた三浦&市橋ペアが解消したのです。

北京オリンピックを見据え、練習に励むという木原選手。

 

切磋琢磨してきた後輩ペアのパートナーを自分のパートナーとして迎える日がくるとは、本人も予想しなかったでしょう。

そこには複雑な思いもあったでしょう。

それでも北京オリンピックを目指し、上を目指すという道を選んだのは木原選手であり、三浦選手でもあります。

 

どちらかといえばかつてのパートナーであった高橋選手に近い、ハツラツとしてエネルギッシュなタイプの三浦選手。

彼女は憧れのウェンジン・スイ選手に近づくために熱意を燃やしています。

三度目のオリンピック出場を目指す木原選手と初のオリンピック出場を目指す三浦選手。

 

二人のストーリーはまだ始まったばかりです。

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ペア

Posted by Aika